1. 木村泉先生/センター長
1986年から4年間 総合情報処理センター長を務められ、UNIXとネットワークの普及に尽力された。 スーパーコンピュータ予算がついた激動の期間だった。
センター長お疲れさまでした。
1.1. 第二種の計算機利用
センター長になられたときに、計算させることにしか目が向いていない利用者を説得するために書かれた記事がある。
メインフレームはプログラミングの助けにはならない。
- TSSが使えるだけではプログラムの編集にさえ不十分だ。 UNIXのgrepのようなものさえ用意されていない。(sedもなかった。)
今後の計算機にはUNIXのような機能も必要だということだ。
そして、PCやワークステーションはメインフレームとは異なるクラスの計算機であり、 Groshの法則の範囲外であるというACMの論文を支持しておられた。
1.2. ネットワーク
東工大ネットワークの基礎づくりにも尽力された。
- 飯島、池辺、木村、と三代のセンター長のもとで、ネットワーク(ハードウェア)が培われていった。
木村センター長時代はその仕上げとも言える時期だ。 (PC Unixの普及も助けとなった。)
- 利用者がいてのネットワークである、と強調しておられた。(管理者が利用者を振り回すな、という意味だったと思う。) ただ、若手との意見の違いも多少はあった。 (メール管理など管理コストの負担などについて)
1.3. スーパーコンピュータ
日米貿易摩擦の影響で、スーバーコンの予算が付くことになった。(中曽根首相、日立スパイ事件) 1987年 ETA10+Sun WS群を入れた。 ネットワーク利用を推進する機会でもあった。